世界遺産 富士山 構成資産をめぐる旅
 2013年9月7日・11月9日
【祝】♪♪ 2013年6月22日 、富士山が世界文化遺産として登録されました。静岡県民だから、富士山は親しみ深いもので、
その自然を身近に感じて暮らしています。富士山も色んな登山口から登っているし、富士五湖は観光の定番です。
自然遺産ではなくて文化遺産として登録された所以は『富士山と信仰』という大きな歴史があるから・・・。
世界遺産になった機会に、まだ知らない富士山の構成資産をめぐってみようと思い立ちました。
古(いにしえ)より数多くの信仰と芸術を生み出した富士山に関わる文化財には、その山体だけでなく、周囲にある神社や登山道、洞穴、樹型、湖沼などがあります。これらの文化財は、富士山の価値を構成する資産(構成資産/構成要素)として現在まで受け継がれてきました。世界遺産(文化遺産)としてふさわしい価値を有している富士山の構成資産は静岡県側・山梨県側を合わせると25あります。 
 
◆  ② 富士山本宮浅間大社 (2013.9.7) 静岡県富士宮市
◆ ④ 村山浅間神社(2013.9.7) 静岡県富士宮市村山
◆  ③ 山宮浅間神社 (2013,11,9)  静岡県富士宮市山宮
◆ ㉓ 人穴冨士講遺跡 (2013.9.7) 静岡県富士宮市人穴 (見学自由)
◆ ⑪ 山中湖 紅葉まつり (2013,11,9) 山梨県山中湖村
◆ ㉑ 船津胎内樹型 (2013.9.7) 山梨県富士河口湖町
◆   富士山吉田口登山道の金鳥居『一の鳥居』 (2013,11,9) 山梨県富士吉田市
◆  ⑨-10 御師 旧外川家住宅(2013,11,9) 山梨県富士吉田市
◆ ①-6北口本宮冨士浅間神社(2013,9,7) 山梨県富士吉田市
◆  ☆Casa Osano カ-ザ オサノ  で  ランチ(2013,11,9) 山梨県富士河口湖町船津
 
富士山構成資産マップは 『フジヤマNAVI』 から編集しました。 
 
メンバ-は遠州連の4名。構成資産をめぐりつつも観光や旬の果物とグルメも楽しみたいと、欲張りなプランで、
結局1回では目標が達成出来ずに・・・9月の次は11月と2回にわたり富士山の構成資産をお勉強してきました。
富士山と信仰というテ-マで、静岡県側なら、まずはここ・・・浅間大社からスタ-トしましょう。 
 
◆  ② 富士山本宮浅間大社 (2013.9.7) 静岡県富士宮市
 
 ② 富士山本宮浅間大社(2013.9.7)
長く遥拝の対象として神聖視され、平安時代初期(9世紀)には、山麓に富士山の噴火を鎮めるための「浅間神社」が建てられました。

富士山を浅間大神として祀ったことを起源とする神社が浅間神社であり、富士山本宮浅間大社はその総本宮です。社伝によれば、山宮から現在地に遷座されました。平安時代から信仰を集め、特に徳川家康の保護を受けて現在の社殿が造営されました。また、家康の寄進をきっかけに富士山八合目以上を御神体として管理しています。境内には富士山の湧水である「湧玉池」があり、かつては道者がここで登山前の水垢離(みずごり)を行いました。 
 階段の真ん中にあった自然石は、鉾立石(ほこたていし)です。何となく見過ごしてしまいますが、これが重要な意味が
あるとってことは、山宮浅間神社(11月)に行って知りました。富士山本宮浅間大社には唯一この一つだけでした。
鉾立石というのは、神霊が宿った鉾を運ぶ際、人が休憩するときにその鉾を石の上に置いて休んだそうです。
その石を鉾立石と呼ぶそうです。

湧玉池(わくたまいけ)は富士山の雪解け水が溶岩の間から湧き出ているものです。
湧玉池には禊所があり、富士山に登る人はこの霊水に禊ぎをして登山する古くからの習わしがありました。
澄んでいて非常にきれいで近くにいるだけで不思議なパワーを受けているような気がしてきます。

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 ◆ ④ 村山浅間神社(2013.9.7) 静岡県富士宮市村山
 
 ④ 村山浅間神社(2013.9.7) 静岡県富士宮市村山
次に向かったのは 村山浅間神社です。 冨士講が盛んだったころの登山道=村山古道を歩いた際に、
ここに立ち寄りましたが、富士山が世界遺産になった今も、当時と変わらないたたずまいです。
村山古道を歩く パ-ト1(田子の浦→村山浅間神社)
村山古道を歩く パ-ト2(村山浅間神社→西臼塚)
 平安時代末期に富士山の噴火が沈静化すると末代上人(まつだいしょうにん)など山中で修行する人々が現れました。これが発展し、鎌倉時代の終わりには富士山における修験道が成立します。この中心となったのが村山浅間神社(興法寺(こうほうじ)とも呼ばれました。)です。江戸時代末までここの修験者たちが大宮・村山口登山道を管理しました。
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 ◆ ③ 山宮浅間神社 (2013,11,9)  静岡県富士宮市山宮
 
 ③ 山宮浅間神社(2013.11.9)
山宮浅間神社は浅間神社の中で一番古いもので、ここにはお社がありません。
このことを知ったのが、前回人穴を案内してくれたボランティアガイドさんにお話しを聞いたからです。
2回目のその日は富士山がよく見える日だったから、絶対に行かなければと、はりきって向かいました。 
 
 山宮浅間神社の鉾立石は2。(最近「山宮御神幸」が行われたようで、鉾立石にはお清めの塩が乗っていた)
 ここは富士宮から富士山スカイラインに向かう途中にあり、まだ新しい駐車場に新しいトイレもできて、世界遺産効果なのでしょう。
ちょうどボランティアガイドさんも出勤されたばっかりだったので、運よくここでも、ガイドさんに案内していただきました。

山宮浅間神社は全国に1300ある浅間神社の総本宮で、一番歴史が古く、鎮座1900年=『元宮』です。(扁額にも元宮の名が)
『元宮』に対して、富士宮にある浅間大社は『本宮』で、山宮から現在の場所に遷座されました。
山宮(元宮)と本宮は直線で8kmほど離れていて、かつては、浅間大社の祭神が春と秋に浅間大社と山宮浅間神社を
往復する「山宮御神幸」が行われていたとのこと。(現在では秋に簡素に行われているとのこと)

籠屋(社務所)をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿った鉾を休めるための石が『鉾立石』です。
石は火山弾で、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれていました。
9月の 富士山本宮浅間大社で、階段の前に一つだけ残っていたのを見ましたが、ここで意味が解かりました。
さて、ガイドさんと一緒に最後の石段を登り、ついに本殿(遙拝所)に向かいます。
 
 山宮浅間神社の本殿は富士山を望む遙拝所になっている
遥拝所の玉垣内へは入れませんが、溶岩を用いた祭儀を行う石列の向こうには富士山が拝めました(^。^)y-.。o○。
ガイドさんも、せっかく案内しても富士山を拝める日は少ないって言っていたけど私達はラッキ-でした。
昔はここに社を建てようとしたのですが、上棟の際強風で壊れたり、その後何度も試みたものの、災いが起こり、
神様がここに社を作ることを喜ばなかったのだと説明してくれました。
 
 山宮浅間神社の本殿は富士山を望む遙拝所になっています。この日は幸運にも富士山を拝めました
 富士山本宮浅間大社の社伝によれば、富士山本宮浅間大社の前身で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が創建したとされています。本殿に当たる場所に建物がなく、富士山を望む遙拝所を設けるという独特な形態は、噴火を鎮めるために山を遥拝していた古代の富士山祭祀の形をとどめていると推定されています。
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 ◆ ㉓人穴冨士講遺跡 (2013.9.7) 静岡県富士宮市人穴 (見学自由)
 
 人穴富士講遺跡 (2013.9.7)
 富士宮市に人穴という地名があり、ここに人穴富士講遺跡があります。新しい駐車場と観光案内所兼観光トイレは、
やはり世界遺産効果でしょう。ここで観光ボランティアの方に案内してもらえることになりました。
まっすぐに続く石段の先にあるのはた~くさんの碑塔というもの。説明がなければお墓だと勘違いしてしまいます。
この碑塔は富士講信者が建立したものだそうです。

村山浅間神社も、ここ人穴も冨士講に深く結びついています。その富士講って何って思いますよね。
その昔、信仰の為に富士山に登っていた頃は多くの日数を費やして全国各地からやってきました。
信者はお金を積み立てて、その年の代表の人が富士山に登っていたようで、そのような団体が大小たくさんあったようです。
18世紀中頃から、江戸を中心に富士講が隆盛すると、人穴は霊地(西の浄土)として信仰されるようになったようです。
私も10年ほど前、この人穴に懐中電灯を持って中に入ったのですが、現在は人穴の入口にロ-プが張られていて、
中に入ることができないようになっていました。(これも世界遺産効果???)

この人穴洞窟の中には関東地方の富士講信者によって「墓碑供養碑」「祈願奉納碑」「顕彰記念碑」
などが建立されたのですが、現在は一般公開はされてないのが残念です。
 「浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)(富士山の神の名称の一つ)の御在所」と伝えられた風穴(溶岩洞穴)の人穴は、富士講の開祖とされる長谷川角行(はせがわかくぎょう)が16から17世紀に修行し、入定したと伝えられる聖地です。境内には、信者たちが建立した角行や先達等の供養碑や顕彰碑、登拝記念碑が約230基残されています。
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 ◆ ⑪ 山中湖 紅葉まつり (2013,11,9) 山梨県山中湖村
 
 山中湖 紅葉まつり (2013,11,9)
11月のこの日のメンバ-も4名で、紅葉とグルメが希望だったので、紅葉だったら富士山周辺がベスト!。 
この日は富士宮の山宮浅間神社に行ったあと、富士山スカイラインを紅葉を愛でながらドライブし、
西臼塚駐車場から富士山を眺めて、御殿場口登山口にも寄ってみました。

その後は国道138号線を走り、山中湖までやってきました。 山中湖は通り道・・・湖畔の駐車場に車を置いて、
夕焼けの渚の紅葉まつりをしばし散策(^。^)y-.。o○  この山中湖も構成資産の一つなんですよね。
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 ◆ ㉑船津胎内樹型 (2013.9.7) 山梨県富士河口湖町(入場料200円)
 
船津胎内樹型 (2013.9.7)
 この日は静岡県富士宮の構成資産を3箇所見学し、私のイチオシの『まかいの牧場・農場レストラン』
たっぷり時間をかけて食べ呆けていたらあっという間に2時間も費やしてしまいました。

その後は山梨県富士河口湖町に向かいまずはここ・・・船津胎内樹型から。
ビジタ-センタ-のような所で入場料を払い、胎内樹型のプリントをもらい内部の説明をしていただいてから、
いよいよ胎内へと入ります。 中は非常に狭く、屈みながら通り抜けていきました。
 
1617年に長谷川角行が富士登拝した際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見し、浅間大神を祀りました。富士講信者によって、1673年には現在の船津胎内樹型が発見され、1892年には新たな「御胎内(おたいない)」として吉田胎内樹型が整備されました。洞内には木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が祀られています。
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◆  富士山吉田口登山道の金鳥居『一の鳥居』 (2013,11,9) 山梨県富士吉田市 
 
 富士山 道しるべ            金鳥居『一の鳥居』             扁額の「冨士山」に注目!   
 御師住宅に向かった際通ったのがこの金鳥居。この近くに観光案内所があり、ここでも係員の方が鳥居まで足を運んで
説明してもらいました。この鳥居に掲げられている扁額の「冨士山」に注目!。富士山の
ではなくて
第一画目の点が無いんです。これは富士山山頂は神域なので、人が入ることは禁忌だったことに由来するのだそうです。
富士吉田市上吉田の下宿、国道139号と137号の交差点、俗称金鳥居交差点の南に立っている。「一の鳥居」といわれ、1788(天明8)年、金銅で建立。その後、大風雨による倒壊、再建を繰り返す。1944(昭和19)年は太平洋戦争のため供出、55(昭和30)年8月、今の銅鳥居が有志により建立された。高さ9・7㍍、笠木13・4㍍、柱の太さ0・88㍍、明(柱と柱の間)7㍍で扁額に「冨士山」とある。
鳥居西側の柱の根元に富士登山元標があった。山頂まで4里13丁10間(17・145㌔)と書いてある。
◆ ⑨-10 御師 旧外川家住宅(2013,11,9) 山梨県富士吉田市
 
 御師 旧外川家住宅(2013,11,9)
金鳥居『一の鳥居』 から富士山吉田口登山道がはじまります。
観光案内所の方の説明によると、 この鳥居から外側は庶民が居住し。そして鳥居から先は神域なので、その関係者の
住まいや宿坊があったとのこと。 構成資産である御師住宅は一の鳥居からほど近い場所にありました。
御師とは・・・
御師は、富士講信者が登拝を行うのに当たり、宿や食事を提供するなど一切の世話をするとともに、日常は富士山信仰の布教活動と祈祷を行うことを業としました。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して導入路を設け、敷地を流れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建てられています。
 観光ガイドさんの説明通り、表通りに面して門があり、敷地を流れる水路(水垢離をした場所)の奥が住宅となっていました。
入場料は100円。ここでもボランティアさんがガイドしてくれるとのことで、もちろんお願いしましたよ~。
 
  御師 旧外川家住宅(1768年建立)
 表通りには御師住宅の形容の面影のある場所がいっぱいありましたが、構成資産に登録された御師住宅は2か所。
もう一軒は今でも暮らしているとのことで、一般公開されているのは外山家だけです。
間口に比べて奥行はかなり深く、主屋の奥には裏座敷も継ぎ足されて、その奥は庭になっていました。
富士山の信仰が一般的になったのは、室町時代の末期から。富士山に登ろうとする冨士講の信者達の宿坊でもありました。
 信者は左側の白装束を着て富士山に登ったそうで、右側の衣装は御師のもの。
 
  御師 旧外川家住宅
 御師の家には冨士講の信者が寄進した調度品もいっぱいあり、全盛期だった冨士講の躍進ぶりを感じることができました。

11月の構成資産の見学は山宮浅間神社とこの御師住宅のみ。後は紅葉を楽しんだり、ランチを楽しんだりして、
最後は河口湖の紅葉まつりも見て、ライトアップが始まったころに帰途につきました。
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 ◆ ①-6 北口本宮冨士浅間神社(2013,9,7) 山梨県富士吉田市
 
 北口本宮冨士浅間神社(2013.9.7)山梨県富士吉田市
北口本宮冨士浅間神社は、国道138号線を走っていると、南側に大きな鳥居を見ていたけど、ここに入るのは初めてでした。 
富士山吉田口(北口)登山道の始まりに建つ浅間神社だけあって、立派なお社でした。
浅間大神(あさまのおおかみ)が祀られていた遙拝所を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていました。富士講とのつながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清(むらかみこうせい)の寄進によって建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成されました。
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 ◆ ☆Casa Osano カ-ザ オサノ  で  ランチ(2013,11,9) 山梨県富士河口湖町船津
 
 ☆Casa Osano カ-ザ オサノ  で  ランチ 
 今日のランチはイタリアンです。このあたりの山梨の名物って『吉田うどん』と『ほうとう』っていうイメ-ジでしたが、
今回は事前にネットで検索して、予約までしたんです。
外観は純和風の住宅って感じで、アプロ-チも日本庭園風。予約制のイタリアンレストランですが満員御礼です。
 
 ■ランチメニューBコース(2,800円)

・本日のサラダ
・本日のパスタ≪トマトベースorオイルベースorクリームベース≫
・本日のメイン料理(お肉orお魚は日替わりおまかせ)
・デザート  ・カフェ    ※自家製のパンがつきます。
 2階のロフト風の部屋で本日のメニュ-の説明を受けてパスタを決めます。まずはロゼワインで乾杯。
自家菜園のサラダはシンプルにバルサミコとオリ-ブオイルと岩塩で味付けされ、薄切りハムと一緒に食します。
ベビ-リ-フのような葉っぱですが、野菜が力強いし新鮮で、大皿にたっぷりといただけました。
パスタはトマトベ-スのアラビア-タ。山盛りのクレソンが乗っていましたが、辛めのトマトソ-スとクレソンがベストマッチ。

メイン料理は魚でした。何の魚だか忘れてしまいましたが、皮目はパリっと焼き目がつき、香ばしく、
野菜のピュ-レと一緒に楽しみます。付け合わせの野菜たちもどれも美味しく、とっても幸せな一皿でした。

自家製の焼きたてパンも4種類、どれも美味しく完食!。最後のデザ-トはまるで絵画のような美しさ(^。^)y-.。o○。 
 接客も気持ちよく、幸せいっぱいなランチタイムでした(*^。^*)。
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