『秋の乗り放題パス』 のシーズンです。連続3日間の利用で7710円だから、一日あたり2570円。 青春18きっぷよりも少し高めで、一人で連続3日間という規定ですが、これを利用して高山祭りに行ってきました。 |
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10月8日(日) 永平寺 一乗谷朝倉家遺跡 高岡泊 |
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福井駅から 永平寺行き(11:50発)のバスに乗る 12:20 永平寺 | ||
起点を朝5時27分の始発に乗って、数回乗り換えて、敦賀から北陸線に乗って、 最初の下車駅は福井駅(11時45分着)。 |
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曹洞宗には、大本山が2つあります。ひとつは福井県にある大本山永平寺。 静かな永平寺をイメ−ジしていたのに、この日は快晴の3連休の中日で、多くの拝観者でにぎわっていました。 |
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大本山永平寺は1244年、道元禅師が45歳のとき、波多野義重公の願いによって、 越前(福井県)に大仏寺を建立し、2年後に永平寺と改められたことに始まります。 |
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福井駅から14:54発の九頭竜線に乗る(初乗り) 15:10着 一乗谷駅 | ||
たった1両のレトロな九頭竜線は初乗りです。 一乗谷駅は駅舎も無くて、ホ−ムだけ・・・この電車にぴったりな風情だね〜。 |
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一乗谷朝倉氏遺跡資料館 | ||
まずは、一乗谷駅から歩いて5分ほどの資料館に入りました。 |
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復元町並 | ||
両側を山で囲まれ狭い谷筋の一乗谷。不便に感じるここが100年続いた朝倉氏の本拠地だったんですね。 当時の町屋を再現したエリアには、室町時代の町人に紛した おもてなし隊の歓迎を受け、さすがは三連休!。 |
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道路の反対側が朝倉家のエリア。初代・朝倉孝景は越前一国を治めた戦国大名へと朝倉氏を飛躍させた人物。 以後、朝倉氏は2代氏景、3代貞景、4代孝景(初代と同名です)、5代義景まで 5代 約100年にわたってこの地域と幕府に重要な地位を占める大名家として続きました。 |
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ここから歩いて15分ほどで一乗谷駅に戻り、17時46分の九頭竜線に乗って福井駅に戻りました。 ここから北陸本線で金沢へ。金沢からは、いしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道〜に乗って高岡に向かいました。 第3セクタ−路線間は途中駅で下車しなければ、秋の乗り放題パスで大丈夫です。 |
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高岡駅(20:14着)はリニューアルしていて、今夜は駅隣接のBH泊。コンビニで晩酌セットを買ってチェックイン。 |
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10月9日(月)
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6:00発 高岡駅から氷見線に乗って・・・ 6:18着 雨晴駅 | ||
翌朝は、BHの窓から北アルプスが見えていたので、雨晴海岸に行ってみようかな。 始発が6時だったので、日の出には 間に合わないけど、荷物は部屋に置いたままレッツゴー♪ |
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雨晴海岸の向こうに北アルプス 日はすでに上がってしまいましたが、剣岳も見えました。 | ||
7:30〜9:30 万葉線に乗って〜 | ||
再び氷見線に乗り高岡方面に戻り、そのまま高岡の路面電車=万葉線に乗ってみようと思い立ちました。 ゆっくりと高岡の街中を抜けて、新湊へ〜〜〜終点の越ノ潟で下車。 |
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あいの風プロムナ−ド | ||
あいの風プロムナ−ドって何?。ここも映画のロケ地みたいだね。 新湊大橋までいくと、歩行者用のエレベーターがあり、橋に上がると橋を無料で歩けるようになっていました。 これを |
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海王丸 | ||
あいの風プロムナ−ドから海王丸の標識方面に歩き、 帆船を遠目で見てから、海王丸駅に向かい、ここから再び万葉線に乗って高岡駅に戻ることにしました。 |
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ドラえもんの万葉線 | ||
次に来た万葉線はなんとドラえもん電車。 |
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高岡駅のドラえもんの散歩道 10:00〜 金屋町と山町筋を歩きます | ||
ドラえもんの万葉線に乗って 高岡駅に戻ってきました。BHをチェックアウトして、次はマップを片手に街中散策。 |
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10:00〜 山町筋(土蔵造りの町並み) | ||
慶長14年(1609年)加賀藩第二代藩主前田利長公により開町され、 以来約400年にわたり越中における商業の中心地として発展してきました。 なかでも山町は、商都高岡を支えてきた商人の町として栄えてきた地域です。 |
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菅野家住宅 | ||
明治33年(1900年)の高岡大火の教訓から、山町の住民は火災に強い土蔵造りの家を次々に建築しました。 | ||
赤レンガの銀行(富山銀行本店) | ||
1914年(大正3年)に建てられたもので、県内唯一の本格西洋建築です。今でも現役の銀行です。 ここから金屋町に向かいます。 |
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金屋町(格子造りの家並み) ロケ地も多いです | ||
高岡は鋳物も有名。石畳にハ−トの鋳物が埋め込まれています。 金屋町 でも映画のロケが行われたようです。 | ||
キュポラを見てから、高岡駅をはさんで反対側にある瑞龍寺 までは、歩くと遠いので路線バスに乗車。 | ||
高岡の開祖前田利長の銅像 | ||
バスから降りて、 |
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国宝 高岡山瑞龍寺 | ||
加賀藩百二十万石の財力を如実に示す江戸初期の典型的な建造物です。 高岡の開祖前田利長の菩提寺、 曹洞宗の名刹です。3代藩主前田利常の建立で、1997年に山門、仏殿、法堂が建造物として国宝に指定されています。 |
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12:24発 高岡ー富山 12:42着 |
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瑞龍寺から10分ほど歩いて高岡駅に着き、ここから富山までは、あいの風とやま鉄道では20分足らず。 富山駅では改札を出て、駅ビルへ。駅も駅ビルも新しくなり、土産物屋さんや飲食店も大賑わいです。 終戦後、肉体労働者の食欲を満たす為に、ごはんのおかずになるラーメンを考案。 |
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14:05発 富山から高山線で 高山へ 16:17着 | ||
富山から高山線に乗って2時間ちょっと、いよいよこの旅のメインテーマの高山祭り! 高山祭りの時期にBHが予約できたから実現したこのプランですが、 BHまでは祭り会場とは反対側で、歩くと25分もかかるので、チェックインは宵祭りが終わってから。 高山駅の観光案内所で高山まつりのパンフレットをもらい、メイン会場の桜山八幡宮方面に歩きました。 |
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16世紀後半から17世紀が起源とされる高山祭は、春の「山王祭」と秋の「八幡祭」、 2つの祭をさす総称で屋台も違うのだそうです。 秋は「八幡祭」だけの11台の屋台が登場。 櫻山八幡宮(表参道)には屋台が勢ぞろいしていて、提灯も付けられ宵祭りにむけて スタンバイ。 私も屋台の通る路地にスタンバイし、午後6時から始まる宵祭りを待ちました。 |
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宵祭り | ||
提灯が灯された屋台はそれぞれ趣きも違い美しい。三段なのでかなりの高さです。 碁盤の目のような細い路地を きびきびと方向転換するけど、屋台が高いのでたま〜にバランス悪く傾きそうになりました。 途中のスーパーで、半額になったご馳走と、缶ビールも3本ゲット。 |
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10月10日(火) 高山祭り 飛騨古川の町並み |
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宮川の朝市を歩く | ||
翌朝は、BHで朝食を済ませてから、本数の少ない路線バス(100円)に乗って高山駅へ。 まずは宮川の朝市を歩いて、地元のおばちゃんが作った格安の漬物を5袋ゲット(1000円) |
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御神幸(祭行列) | ||
御神幸(祭行列)は午前8時30分頃に八幡宮表参道を出発。 この行列の中の獅子は沿道の家の玄関で舞い、家人はご祝儀の乗ったお盆を持って見守っていました。 |
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櫻山八幡宮(表参道) 屋台曳き揃え | ||
秋の空の下、国の重要有形民俗文化財である八幡祭の屋台11台が曳き揃えられます。 | ||
さて、いよいよ櫻宮八幡宮の鳥居をくぐります。 | ||
11:00〜布袋台の からくり奉納 | ||
櫻山八幡宮の境内には 布袋台の屋台があり、からくり奉納はこの屋台のようです。 奉納の時間まではまだ1時間近くありますが、見物人でごった返し・・・ 人混みに紛れて待つことにしました。 |
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2体の唐子がアヤを渡って布袋に飛び移り、布袋が軍配を一振りする巧妙なからくりが見どころ。 綱さばきによる動きとは思えない、人形たちの演技に魅了されます。 |
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櫻山八幡宮を後に、大賑わいの古い町並みを歩いてみました。造り酒屋や味噌の店もいっぱいあって、試食も楽しい〜 | ||
坂口屋 『うっしっし丼』1900円 | ||
飛騨牛の串焼きのお店や飛騨牛のお寿司の店の前を通りながら 時間は12時、そろそろお昼ごはんにしよう!。 この流れで飛騨牛しかないよね〜♪ とろけるさしの入った『うっしっし丼』、とろける美味さでした〜。 |
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飛騨古川 | ||
高山祭りをひと通り見物できたので、高山駅に戻り、高山線を北に戻り飛騨古川に行ってみました。 2016年の夏に公開された新海誠監督の映画「君の名は。」 この映画の中の一部として飛騨地方の風景イメ−ジとして登場!一躍有名になった飛騨古川。 |
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飛騨古川 造り酒屋 蓬莱 | ||
飛騨古川から帰途に着くための電車に乗る時間までの2時間で、街歩きマップを持って散策してみます。 | ||
古川町の中心部は明治37年の大火でほぼ消失しましたが、その後、伝統的な建築様式を踏まえて家を建て直しました。 現在でも、殿町、壱之町、弐之町を中心に、伝統的な町屋が残っていて、美しい古川の町並みを守っています。 出窓や出格子、玄関戸、塗壁、雲など飛騨の伝統的な建築技術は、駅の周辺を歩いて見ることができました。 |
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家々の軒に見られる「雲」は飛騨大工の紋章 | ||
飛騨の大工さんたちは、自分が建てた建物の軒下に「雲」という装飾を施します。 古くから「匠の里」として栄え、現在でも建築業に従事する人の割合が高いといわれる飛騨。 奈良時代以降、高い技能を持っていた飛騨の匠たちは都に派遣され、 藤原京や平城京、平安京の建築にも携わったと伝えられています。 |
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16:00発 飛騨古川駅から帰途の旅・・・ 高山線から東海道線と乗継ぎ、夜10時半ごろ自宅最寄り駅到着 | ||