黒部川 下ノ廊下
2012年 9月22日・23日   
15〜16年ほど前からずっと歩いてみたいと思っていた黒部川「下ノ廊下」。ついに歩く機会がやってきました。
去年の地震での崩壊箇所の復旧もすでに終え、今年は例年よりも残雪が少ないらしく、ほぼ完全な状態のようです。
10月の紅葉シ−ズンがベストなのでしょうが、日程の都合が付かずこの時期になりました。
2日間快晴に恵まれ、憧れの峡谷を見ながら断崖絶壁の道を歩くことができました。
9月22日
前夜発にて、扇沢に到着。ここで仮眠をして、翌9月16日の朝6時、宇奈月駅への車の回送(19000円JAF割引き、駐車場代込み)
の手続きをして、アルペンル−トの切符を買って6時30分始発のトロリ−バスに乗りました。
7:00  黒部ダム(黒4ダム)  (矢印の先が赤牛岳)         赤牛岳にズ−ムイン!
始発バスには観光客も多く乗車していました。長野県から富山県に入る頃、いつものようにトンネル工事の最大の難所、
破砕帯の事や映画「黒部の太陽」のアナウンスがありました。今日、明日歩く道は、このトンネル工事や水力発電と密接な関係
がある所です。 事前勉強として、『黒部の太陽』だけはDVDで見てきましたが、小説の内容とはかなり違いがあるみたいです。
黒部ダム(黒4ダム)に着きました〜。 まずは、ここの展望台に登って黒4ダムや周りの展望を見てみましょう。
ちょっと長い石段を登っていくとこんな大展望が広がっていました。普段はすぐにダム上の歩道に向かってしまうので、
この展望台に登って、このような高さからダムを見たのは初めてかもしれません。
去年の秋に縦走した赤牛岳もすっきりと見えていて、一年前を思い出し、感慨無量・・・うれしいです。


黒4ダムの観光放水もダイナミック。 でもここで発電しているわけじゃあないんですね。  後でわかります・・・。
左 東一ノ越 や ロ−プ−ウエイ 大観峰が見える    正面立山(雄山方面)          日電歩道方面に進む

雄山方面は朝日が当たり、ひときわ輝いて見えました。 ここが今回の山旅の中で、1番高い標高地点です。
ひとしきり展望を満喫して、階段を下ってバス乗降所まで戻り、旧日電歩道方面へと進みました。
旧日電歩道」      黒部川の左岸に渡る     左岸から見上げた黒4ダム
まずはダムの下流側の出口から、「旧日電歩道」の標識に従って、黒部川の高さまで山道を下っていきました。
黒部川にかかる木の橋を渡る際は、観光放水の水しぶきが風圧で舞ってミスト状態でした。 いよいよ、下ノ廊下です。
阿曽原版  下ノ廊下(旧日電歩道)の基本情報  (阿曽原小屋Webサイトより抜粋)

@概略
下ノ廊下は、黒部ダム〜仙人ダム間のルートで「旧日電歩道」と呼ばれ、
電源開発の調査目的のため左岸の切り立った岩盤に無理やり切り拓かれた道です。
昭和四年に平までとりあえず完成したものの、現在のように拡幅されたのは昭和三十二年頃からと
冠松次郎氏の著書にあります。
一般的な登山道とは全く異なり、登り下りは少ないが道程は長く(黒部ダム〜阿曽原間は18qあまり)、
危険箇所の多い峡谷沿いのルートです。
通行できる期間も平年で一ヶ月あまりで、小屋泊・テント泊合わせて2千人前後の登山者が歩きます。

A通行可能期間
平年ですと9月下旬から通行できますが、冬期間の降雪量や雪崩の出方によって残雪の量が左右されるため、
開通時期も毎年変わります。
平成5年以降でみても、全く通り抜けできなかった年(平成8年)や10月末にようやく開通した年(平成18年)もあれば、
8月の下旬から歩けた年もありました。  毎年10月末日で小屋の営業を終了しております。

B残雪について
新越沢出合〜白竜峡間は、秋までスノーブロックが残る年があります。
登山道がふさがれている場合は、その場所を迂回する形で丸太のハシゴと桟道を架けて高巻きします。

Cルート整備について
この区間は、関西電力が黒部ダム建設時に、旧厚生省(現環境省)との間で交わされた付帯条件として、
ダム建設後もルートの整備を行なうこととなっております。
毎年、転石の除去・丸太桟道の補修や取替え・手すりの補修・迂回路の整備などなど、
多額の費用と手間を掛けて地元業者が整備に当たっております。
しばらくは黒部川に沿った道を進む              8:23  内蔵助谷出合  丸山東壁
最初は草付や樹木の中を歩いていく道でした。小さなアップダウンを繰り返しながら河原が見えてきました。
最初の休憩ポイントの内蔵助谷出合までは、約1時間。 快適な気温だし、快晴だし言う事こと無しです!
 丸山東壁を登るクライマ−も見えました。  
が・・・ここでの休憩の時、不運にも私のデジカメを砂の上に落としてしまいまして・・・。
砂が入ってしまったようで、デジカメがポシャってしまいました・・・(-_-;)。  今日のコ−スは下記の通りデス↓
黒部川 下の廊下(旧日電歩道)概念図 阿曽原温泉Webサイトから
10:05  いよいよ断崖絶壁の道になる     10:06  桟橋も整備されていて安心
だんだん黒部川を下に見るようになってきました。 いよいよ断崖絶壁の道になり、下ノ廊下のハイライトに入ってきました。
先ほど、私のデジカメが故障してしまった為、ここからはすべて同行者のデジカメ画像を拝借させていただきました。
10:11             
今回は3人パ−ティ−です。 リ−ダ−は 『いい人△(Yくん)』さん。
『いい人△』さんの同級生で同郷の 『いい人◇(さいちゃん)』さん。   そして私『dosannko○』です。 
なんと 『いい人◇』さんとは初対面でしたが、ウチの家人とは面識があるなんて、世の中狭いなぁ〜。 
リ−ダ−の生まれ年の人は、いい人ばかりというので、『いい人△』さん、『いい人◇』さんとして、登場しま〜す(^_-)-☆。 
10:22   下の廊下の景観にうっとり・・・         10:25  なかなか高度感が出てきましたネ〜
尚、先ほどのデジカメの一件から、今回は珍しく私『dosannko○』の、道産子(馬)らしい逞しい姿が登場します。
アクセス数減っちゃったらど〜しよう!(^^)!

道はどんどんすごい事になってきましたよ〜。
下ノ廊下は、黒部ダム〜仙人ダム間のルートで「旧日電歩道」と呼ばれ、電源開発の調査目的のため
左岸の切り立った岩盤に無理やり切り拓かれた道です。
昭和の始めに完成したそうで、その頃は道というよりは岸壁に桟橋を渡したもので、映像で見たことがありました。
現在のように拡幅されたのは昭和三十二年頃からというから、この時にはダイナマイトを使って壁を削っていったのでしょうか?。 
よくもまあこんな秘境に道を作ったものだなぁ〜と感心することばかりです。昔の人は偉いです。
おっとっと・・・

前方に大きな梯子が見えてきました。

ここが大ヘツリの高巻き桟道です。

何年か前に、道の岩盤にクラックが
入ったため作られたとのことです。

その辺りを見たら、だぶん人間が乗った
くらいでは落ちないように思うのですが・・・
安全第一というですね。

でも、この大高巻きもかなり怖い!
怖いから事故は起き難いってこと??

ほぼ垂直の木の梯子はきっちりと
整備されています。
ただ、何であんな高さまで
登らなくちゃ〜いけないんだ?。

と思いながら登っていくと、
やはり・・・
超! 高度感がありました。
10:26  高廻り桟道    ほぼ垂直の梯子だよ・・・($・・)/~~~
一番上の桟橋には壁側には、木製の手すりがあったけど、谷側には何も無い。
でも、怖いもの見たさに黒部川を俯瞰したら、目も眩むほどの高さがあり、『あぁぁ”〜見なきゃよかった。。。』
下りでは足がすくんでしまいました。 今回の下ノ廊下で、この場面が一番怖く感じたところです。
10:35   黒部別山沢    10:39  
大高巻きも無事クリア−・・・。例年だと、この後にあるポイントが難所だとか・・・?
次に現れたのが、黒部別山沢です。残雪の多い年度や時期だと、このあたりの通過が最大の難所となるようで・・・。

でも今年はこの時期にまったく残雪はありません。例年ならここの雪渓の状態で下ノ廊下が開通できるかの重要な
ポイントになるようですが、今年の阿曽原温泉HPの記事ではこの時期は大丈夫と伝えていました。
残雪に埋まるこの沢は上部を見ても雪渓らしきものも見当たらず、上記のように黒部別山沢は岩づたいに渡渉する状態でした。
そしてロ−プのある地点で登り返して、再び下ノ廊下を歩きます。
10:42  まさに、「下ノ廊下」 の景観!
黒部別山沢を越えて、道は再び下ノ廊下の核心部へとつながっていきます。
10:45  大ヘツリのあたり
所々、道幅も狭くなり、左手側の針金や岩を掴みながら、慎重に歩き続けます。
今回もテント泊の為にフル装備ですが共同装備は分担で、単独の時にくらべて荷物の重さは軽量化できるのは助かります。
こういう道なのでストックも使いたくないから軽量化できるのは有難い。 私の荷物はマイテントだけ。 助かりました〜。
11:15   白竜峡              11:18  白竜峡
だんだん川幅が狭まってきました。そろそろ白竜峡に入ってきたようです。
すばらしい景観の連続ですね〜。 周りの景観が巨大すぎて、人物はこんなに小さいです。 撮影スポットが多すぎて、
『いい人△』さんも『いい人◇』さんも片手はデジカメを持ったままです。おかげでたくさんの写真(動画)を撮ってくれていました。
11:23  白竜峡
今日の行程は、黒部ダム駅から阿曽原温泉までの18kmです。 ここ白竜峡は黒部ダムまで9.3kmと書いてあるから、
この辺りはちょうど今日の行程の半分にあたるのですね。(明日のゴ−ル欅平駅まではなんとまだ20kmも!)
白竜峡は名前の通りに、黒部川が白い竜のように流れて見える美しい峡谷でした。
黒部川 下の廊下(旧日電歩道)概念図 阿曽原温泉Webサイトから
12:10  去年(平成23年10月7日)の地震の影響と思われる斜面の崩落現場の通過
しばらくは、美しい峡谷を眼下に見ながら歩いていくと、まだ新しい桟橋がありました。
ここが、去年(平成23年10月7日)の地震の影響と思われる斜面の崩落により、登山道が一部欠損してしまった場所のようです。
    ☆ 発生場所は十字峡より10分上流地点。崩落の規模は 旧日電歩道上より、 高さ 25〜30メートル。 
       幅 約30メートル。  歩道より下部 (河床まで)高さ  60メートル位。


この地震で被害を受けた方や、大規模な崩落でここの通行も危ぶまれましたが

      ☆ 『この区間は、関西電力が黒部ダム建設時に、旧厚生省(現環境省)との間で交わされた
          付帯条件として、 ダム建設後もルートの整備を行なうこととなっております。』

との取り決め通りに、今年はすっかりその整備を終え、問題なく歩行できるようになっていました。
これらのル−ト整備には莫大な費用がかかると思いますが、巡視路としての役目以外にも年間2000名ほどの登山者が
この恩恵を受けているという事実は、とても有難いことだと身に染みます。
 
12:25  十字峡(見晴台から)
崩落現場の桟橋から10分ほど進むと、小さな広場がありました。
その先には吊り橋が見えましたが、荷物をここに置いて、今から十字峡の見晴台に行くとのこと。
周りは樹林なので一目でここが十字峡とは判りませんでしたが、木に記してある 赤テ−プから
黒部川側の岩の裏側の急な踏み跡を下ってこの地点まで来ました。
ずっと前から憧れていた下ノ廊下ですが、その中で一番はこの十字峡を見ることでした。
15〜16年前、山岳会に入会したきっかけは会長(故人)の事務所にあった十字峡の大きなパネル写真。ヘルメットを被り渓流を
登るような装備をしたクライマ−が一人、この緑色に澄んだ十字峡と一緒に映っていました。いつかここに行ってみたいと・・・。
ハイカ−姿の私ですが・・・、憧れの写真とはアングルも違いますが・・・、今回の一番の感動のシ−ンでした。
十字峡にて  左 劒沢         中  黒部川下流部分             右 棒小屋沢

十字峡とは、その名の通り川(沢)が十字に合流しているのですね。
黒部川本流に劒沢と棒小屋沢が同じ地点で合流しています。 
剣沢の水量に比べ、棒小屋沢が少ないのは上流で黒四発電所に水を抜いているためだからそうです。

12:45  十字峡のつり橋を渡る            つり橋の上から見た 十字峡
十字峡の見晴台まで降りない(小さな広場には見晴台への案内は無い)人は、ここの剣沢にかかるつり橋から十字峡を眺める
わけですね。  ここからも絶景です。十字峡のつり橋を渡ると、だんだん黒部川が下に遠ざかっていくようになりました。
電力開発でこの秘境に多くの技術者や人夫が働いていた頃、登山目的で黒部川下ノ廊下を完全遡行したのが冠松次郎氏。
大正14年のことです。 

冠松次郎は明治44年に、白馬岳に登り
、祖母谷を流れに沿って下り、初めて
黒部峡谷に入りました。

その後は、黒部に魅せられて、本流を
中心として支流・尾根を踏査し、秘境黒
部の谷や山の全貌を明らかにした登山
史の中では有名なお方です。

この峡谷を歩いてみると、装備も乏しい
時代の冠松次郎氏の探究心と偉業がす
ごい事だったことを思い知らされました。

黒部川は時々樹林越しにその姿が見え
なくなりますが、かなり川床から離れた
高所を歩くようになりました。

このあたりは、川までの標高差は、
約90メートル!
道もこんな具合だから、怖いもの見たさ
で、下を覗いては
『わぁ〜高い・・・怖いな〜』

作廊谷の標識がありました。
作廊谷のずっと上を見上げると
小屋があります。

ちなみに、作廊とは開拓期のガイドの
地元宇奈月の下立村の松本作郎氏の
名前から取ったそうです。
13:22   作廊谷周辺
13:24  この辺りは抜群の高度感        13:38   よくもまあ、道を作ったもので、スゴイです
道はまだまだ断崖絶壁です。高度感も充分にあります。 写真をとっても川床からの高さがありすぎて、
部分だけの写真になってしまいますね。   岩のくりぬいた道が続きます。  高さだけの問題じゃないけど、
ここに道を作った先人はスゴいです。  そして、毎年この道を整備してくれる人にも感謝。
13:40   半月峡
あらら・・・!  次の見所スポットに来たようです。 相変わらず高度感はありますが、黒部川は川幅が狭くなり
このような美しい峡谷美を見せてくれました。 半月ってどこの部分のことを言うのでしょう。
『あそこかなぁ?、ここかなぁ〜?。  あれれ!・・・あんな巨大な岩、いったいどこから来たのでしょう。』
14:00   黒四発電所               14:20 東谷吊橋   吊り橋で黒部川の右岸に渡る
半月峡を過ぎると、対岸の山の中腹に三角のトンネルのようなものが2つ見えるようになりました。
だんだん近づくと、そこに書いてある文字もしっかり見えます。ここが黒四発電所でした。
私だけが、ダムと発電所がこんなに離れていることを知りませんでした・・・(-_-;)。

多くの観光客がアルペンル−トで黒部ダム(黒四ダム)まで来て、そのスケ−ルの大きさに感動するあの観光スポット。
私たちも今日の朝、展望台から黒四ダムの全容を見ましたが、あのダムの水が・・・15km?ほど
水路トンネルで旅をしてここで発電していたのですね。対岸も断崖絶壁の急峻な地形。あの山の中に巨大な発電施設があるなんて、
想像できませんが、こんな途方もない秘境にダムや発電所を作ってしまうなんて驚きです。
今歩いている下ノ廊下は黒四ダムよりももっと前に作られたものだし。(日電歩道 仙人谷〜現在の黒部ダム)昭和4年完成。
  これから吊り橋で黒部川の右岸に渡ります。
14:40    仙人谷ダム    14:45  ダム周辺には野猿さんがいっぱい     関電人見平宿舎へ向かう
右岸を回り込むように歩いていくと、ダム湖に出ました。ここが 仙人谷ダム。 黒四ダムに比べて小さく感じます。
観光名所の黒四ダム。だったら第三、第二・・・のダムもどこかにあるの?。 
そうなんですよね、仙人谷ダムは言ってみれば第三のダムみたい。 そして、その第三発電所は明日向かう欅平にあるようです。
第三発電所は昭和15年に発電開始。 そんな昔からこの秘境の地にはその時代の英知が注ぎ込まれていたのですね。
 (ちなみに第四発電所は昭和36年 発電開始)
4:47 ここのドアを開けて室内に入る。これがル−トです      14:50  関西電力黒部専用鉄道トロッコの軌道(高熱隧道)
ダムの上を歩き、ダムの反対側を覗いたら、目も眩む高さでした。 ここからの道はこの施設の中を歩かせてもらいます。
昭和の最初の建物だから天井が低いと感じました。
すぐ近くでトロッコの音が・・・!。急いで行ってみたけど、すでに走り去った後でした。 
このトロッコは関西電力黒部専用鉄道で、ダム・発電所関係の資材や作業員の専用電車です。
欅平から、黒部第四発電所(地下発電所)なども経由して黒部ダム(黒4ダム)まで走っています。
(黒部ル−ト見学会)もあるようで、これなら一般の方の見学が可能らしく、機会があれば参加したいものです。
ふと気がついたら、あちらこちらにトンネルがあり、まわりの空気が熱い。
ところによっては硫黄のにおいもします。  ここが高熱隧道の一部だということがわかりました。


【高熱隧道】
欅平から上流にダムを設置し、欅平付近の水力発電所まで水路トンネルで水を落下させて発電を行なうという
黒部川第三発電所の建設工事が1936年8月に着工された。 そこは、資材を運搬するだけでも転落死する者が
出るほどの、秘境に近い環境。それどころが、工事現場の地下には高熱の断層が通っており、わずか30m
掘り進んだだけで岩盤温度は摂氏70度を超え、地質学者たちの予想などを軽々と裏切って、
岩盤温度は奥に進むにつれて上昇を続け、ついには触れただけで火傷を起こすほどにまで達する。
岩盤の温度によってダイナマイトが自然発火・暴発を起こしたのを皮切りに、泡雪崩で宿舎が
根こそぎ飛ばされるなどの事故が発生し、異例の数(300余名)の犠牲者が出ていく。
名もない彼らのノミの一打ちが、彼らの汗が、彼らの命が、この隧道を作り上げてきたという歴史。
昭和11年からの4年間、国力でもある電力のために命をかけた彼らの墓標は、この「高熱隧道」そのものなのかもしれません

ダムの施設を出て、人見平の宿舎で缶ジュ−スを買っていっきに飲み干し、これから阿曽原温泉までは約1時間です。
ここからは険しい登りとなって、足並みがぐっと遅くなりました。
ひと山越したところでやっと下りに転じ、ついに阿曽原温泉の小屋が見えてきました。
15:50 阿曽原温泉 着    16:10  テントを2張り設営して、いよいよ・・・     16:30 乾杯〜(^。^)y-.。o○      
人見平の宿舎から阿曽原温泉までの登り下りが、今日一番疲れました。
小屋で幕営料、入湯料、冷たい缶ビ−ルを買ってテント場へ。
テント場は比較的広く、平らになっていて、当時、宿舎があった場所のようです。
ここから5分ほど下ったところにある阿曽原温泉は、1時間ごとに男性・女性と入れ替わります。
16:30からは女性タイムでしたが、まずは「乾杯〜をしなくっちゃ」(^。^)y-.。o○  
「やっぱ旨いわぁ〜」  一日中歩いた後のビ−ルは格別です。
今日はその旨さを分かち合える『いい人△』さん、『いい人◇』さんも一緒だから、ますます楽しい!。
あっという間にロング缶を飲み干し、話題も尽きないけど、とりあえず温泉に行ってきま〜す。
阿曽原温泉 露天風呂  16:30〜1時間女性専用。17:30〜1時間男性タイム。16:30〜女性専用 夜間は混浴
阿曽原温泉 露天風呂は山道を5分ほど下った所にあるから、帰りは登りです(^^ゞ。 コンクリ−トの湯船の野天風呂でした。
「高熱隧道」というのは、この場所から仙人谷ダムまでの間なのだそうです。そんな場所だから、当然温泉もあるわけで、
この温泉自体、「高熱隧道」から流れ出しているお湯を利用しているとのことでした。
阿曽原温泉の露天風呂がある場所にはトンネルがあったけど、それが「高熱隧道」につながっているのかなあ?

交代に温泉に入って、薄暗くなってから、再びビ−ルタイム&夕食タイムになりました。 『いい人◇』さんがメシ担当。
きゅうりの塩もみも美味しかったし、まめにコンロの番もしてくれました。 私はただ飲むだけ・・・(^_-)-☆
楽しい話題も、アルコ−ルも尽きることなく、めちゃくちゃ楽しいひとときでした。
今晩は新月。 空には満天の星空が広がり、今年一番の天体日和でした。
(←星空で日和?)
9月23日
今日もいい天気になりました。紅葉の時期だと、下山口の欅平駅からのトロッコ電車が予約でいっぱいになり、
早い時間帯の電車に乗るために早朝に出発しなければいけません。
今日はトロッコの団体予約もないようで、朝はゆっくりと5時30分に出発でした。 最初はずっと登りの道でした。
はやり、ひと山越えたような道で、やがて道は黒部川から かなり上部の水平道へと移っていきました。
昨日歩いたのは 「旧日電歩道」 と呼ばれる道でしたが、今日は 「水平歩道」 と呼ばれる道です。 その違いは ↓↓↓
≪水平歩道≫
欅平〜仙人谷ダム間の13キロ余り
の区間を指します。
旧日電歩道同様、関西電力鰍ウんが
業者さんに委託して整備されています。

大きな違いは、
・黒部川からかなりの高度差があり、
川床が見えない
・送電線の巡視用の道が所々作られて
いる(たまーに間違える人がいます・・・)
・雪崩や鉄砲水を避けるためトンネル
(隧道)が掘られている場所がある
等々です。
毎年6月から整備に取り掛かり7月中・
下旬には、冬季間の雪崩で引きちぎら
れた番線・へし折られた丸太桟道・
道を塞ぐ倒木等の整備がほぼ終わって、
草刈り等細かな整備を除けば取り合え
ずは通行することが出来るようになります。
5:30  阿曽原温泉出発       7:23   折尾ノ大滝        7:28  水平歩道を歩く
道は相変わらず昨日と同じような感じ
ですが、黒部川はずいぶん下に見えます。

時々覗き込むと、目も眩むほどの高さです。

最初の絶景ポイントは
オリオ谷の折尾の大滝でした。

ここで小休止です。

黒部川は深い谷となって遥か下に。

このような恐ろしい山肌によくも道を作った
ものだと、感心してばかりです。

次の小さな沢ではこのえん堤の中を通り
抜けるようになっていました。

7:30   えん堤の中のトンネル
7:56    よくぞ作りました。気の遠くなりそうな労力です。            
水平道はこの先もずっと続きます。山側には針金が張られていますが、谷側には樹木があって、あまり恐怖心を感じません。
谷底が遠すぎて写真では高度感がわかりませんが、万が一滑落したら絶対にヤバいです。 対岸には奥鐘山が見えています。
8:23    大太鼓を歩く若者カップル          角度を変えて大太鼓    
天井の岩の張り出しが大きくなると、このあたりが「大太鼓」。 でも何で「大太鼓」と呼ぶのでしょうか?
大太鼓の通過は絶好の撮影ポイントです。 登山者の姿を入れたほうが絵になりますね。
8:23  大太鼓のあたり  対岸の展望は・・・     奥鐘山西壁(奥鐘山は近すぎて全体が撮影できない)  
ここからの大展望は奥鐘山西壁でした。  でも奥鐘山が近すぎて全体が入らないのが残念。この目でしっかりと見ておきました。
8:30  志合谷  全景  (トンネルになっている)      8:37 志合谷の通過は真っ暗な150mのトンネルを抜ける 
前方に見えてきた深い谷。 まだ雪渓も残っています。 水平歩道はその谷の両脇までありますが、
あの谷をどうやって越えていくのかしら? 志合谷のすぐ近くまで来ると真っ暗なトンネルの入り口があります。 
志合谷は道はすぐ崩壊してしまうので、トンネルを掘り、その中を大きく迂回していく道でした。
ヘットランプを取り出して中に入るとトンネル内の道は曲がっていて先が見えません。天井は低いので、長身の方は天井注意です。
まるでお化け屋敷のような不気味な暗さでした。 左下には花崗岩の砂の上にキレイな清水が流れていました。  
やっと花の写真も撮ってくれました  9:27 蜆谷    9:40 山の合間から白馬方面の展望が広がる
志合谷の暗いトンネルから欅平まではあと4,8kmと書いてありました。
この先もずっ水平歩道は続きます。 対岸の山の向こうに山が見えるようになりました。
白馬三山あたりが見えてきたのかしら? 白馬山頂もいい天気です。 
周囲には電線がいっぱい     10:06 欅平上部  鉄塔の下で最後の休憩 ここで最後のリンゴ登場!
送電線の鉄塔や送電線が近くにありました。送電線の下を通ると、『電磁波でビリビリしてるね。』と。 
私は全然感じませんでしたが、体にはあまりいいものじゃぁありません。
あといくつ先の鉄塔で休憩しようと『いい人△』さんが言ってたけど、そこまでも遠かった・・・。
水平歩道は道が狭いから休憩するポイントもみんな同じような場所です。最後の休憩は欅平上部。 欅平までは1.3km!。
『いい人△』さんが最後のリンゴを取り出しました。昨日は2個食べて、3個目はゴ−ル目前のこの場で登場です。
2日間お疲れさまでした。 美味しかったデス。 
10:55 欅平駅           トコッロ電車の切符    黒部峡谷トロッコ電車
リンゴパワ−で、最後は急な下り道をもうひと頑張り。 ゴトゴトというトロッコ電車の音が近づいて欅平駅に到着しました。
『やぁ〜〜〜見所満載で、いい山旅でしたね〜』 
次の電車は11時4分でしたが、その前にしたいこと(↓)があったので、その後の電車の切符を購入。 
売店で生ビ−ルを買って、ベンチで『お疲れ〜かんぱ〜い
(^。^)y-.。o○』 喉が鳴いて喜んでいます(←???)
いっきに飲み干して、「もっと飲みた〜い・・
・(^^♪。」
11:25 欅平からトロッコ電車の旅がスタ−ト!        宇奈月地ビ−ルでカンパ〜イ(^。^)y-.。o○
『いい人△』さんは、改札を待っている間に宇奈月ビ−ルを買ってきました。 
ホ−ムに入ってきた トロッコ電車を見てウキウキ・ワクワク。遊園地にあるような列車をひとまわり大きくしたような
カワイイ車体が気に入りました。 ここからは観光気分でトロッコ電車の旅が始まりま〜す。

おっとっと、その前にお勉強。昨日の行程の終盤にあったのが (仙人谷ダム=黒3ダム) 
そして、このトロッコ電車の向こう側にあるのが、第3発電所。 仙人谷ダムの水が、ここ欅平で発電されていたのでした。

さて、再び乾杯の音頭です。宇奈月ビ−ルは3缶セットで売られていて、それぞれ風味の違う地ビ−ルです。
地ビ−ル党の私はこの宇奈月ビ−ルの大ファンです。  会費制で最初にプ−ルした会計はビ−ル代にしめる割合が多く!、
ここでも気前よく、一人に3缶セットが渡されました。
「嬉しい〜〜〜(^。^)y-.。o○」 
宇奈月温泉に入ってからは運転が待っているから、当事者はお土産としてお持ち帰りするようにだって(^_-)-☆。
11:41    11:55  黒部川第2発電所    12:18 黒薙温泉    12:00  ダム湖の色
トロッコ電車には約1時間半も乗っていられます。心地よい風に吹かれて車窓の景色も楽しんで、
『dosannko○』は、早くも2缶目もプシュ〜! 。  沿線には温泉もありますね〜。泊ってみたいものです。
猫又駅の近くには黒部川第2発電所がありました。 第2ダムはというと=小屋平ダムになるのだそうです。
12:39 宇奈月温泉が見えてきた 12:49  宇奈月駅
トロッコ電車に揺られること1時間ちょっと。トンネルも多かったけど楽しい電車旅でした。
うなづき湖が見えてきました。  宇奈月ダムや宇奈月温泉も見えてきました。 宇奈月駅に着きましたよ〜。立派な駅舎です。
宇奈月駅の前にあるリニュ−アルした黒部川電気記念館に立ち寄って、黒部川の電力開発のあゆみなどを見学しました。
13:30  宇奈月温泉 とちの湯 露天風呂からは対岸のトコッロ電車が見える
宇奈月温泉では、立ち寄り湯の「とちの湯」で温泉に入りました。トロッコ電車から対岸に見えた温泉施設です。
当然、露天風呂からはうなづき湖の向こうにトロッコ電車が見えます。 帰り道では富山名物のます寿司や
ほたるいかの沖漬けなどをお土産に買い求め、長〜い高速道路のドライブを楽しみ、太平洋側まで帰りました。
〜おわりに〜
北アルプスのまん中、鷲羽岳から始まる黒部川は急峻な谷や峡谷を刻みます。
人の手が及ばないであろう秘境の地を大正時代から電源開発に着手した先達たちが居たことを、
今回 下ノ廊下(旧日電歩道・水平歩道)を歩いて、あらためですごい偉業だったことがわかりました。

黒部の自然は人間の想像を越えるものでした。それでもこんな途方もない鉄道・歩道・ダム・発電所・送電経路などを
作ってしまう人間のパワーはどこからくるのでしょう。
何度も事故に遭い、そのたびに犠牲者が出ても工事を完遂する不屈の精神に感動しました。

そんな激動の時代を経て、今では黒部の厳しい自然と、人間の英知が折り合いをつけて、
この秘境に溶け込んでいるという、絶妙なバランス感覚がありました。 今回歩いた道はすべて人工的なものですが、
黒部の秘境に身を置き、見た風景は 黒部川峡谷の大自然の険しさと、美しさでした。 
でもそこから見えない地下には巨大な発電施設があり、そのトンネルの中を多くの人が、資材が行き来している。
高みを目指す登山ではなく、物見遊山の旅ではなく、すごく色々なことを見て、感じて、考えた有意義な山歩きでした。
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